10年続けた職を辞め、日本を周る旅に出る夏【ADDress会員インタビュー】

多拠点生活と旅は通ずるものがあると思います。

ともに、いままでの日常から離れる行為であるからです。

それゆえか、ADDressを使っていると、旅をする人にしばしば出会います。

今回、インタビューをした畠中 蒼介さんもそのひとり。(※ご本人の事情により仮名を使用しています)

彼と出会ったのは、8月上旬、静岡県の山奥に潜む川根本町の家。盛る夏の熱気をうち消す、叩きつけるような豪雨の日のことでした。

その日、玄関先に現れた彼は、頭の先からつま先までびっしょりと濡れていました。脇にはヘルメットを抱えています。この雨の中をバイクで…。私がやや気の毒な思いでいると、家守の方がシャワーを薦め、15分後には30代半ばの爽やかな風貌の青年となって現れました。

話し掛けてくれたのは畠中さんからでした。彼がややおずおずとした風に告白したところによれば、今夜がADDress利用の初日であるそう。さらに聞けば、学校が夏休みなので20日間の旅に出たところなのだと言います。

学校。

学生ではないであろう彼の口から出たその単語が、引っかかりました。

その夜、彼の身の上話を火種に、家守も他の会員も混ざって、気づけば深夜1時まで、話は続きました。

今回のインタビューでは、旅を終えた畠中さんに、20日間の旅のことや学校のことを伺いました。

やりたいことを先延ばししてはならないと気づいた

———— どうしてADDressを使うことになったんですか?

ADDressのことは元同僚から聞いてたんです。

そもそも、昨年末に新卒から10年働いたテレビ制作系の会社を辞めました。かなり忙しくて、自分には合わないかなという思いが大きくなっていて。辞めたいな、でも辞めない方がいいかな、を何百回、何千回と行ったり来たりして、やっと決断できたのが昨年末でした。

辞めたあと、元々憧れていた声優になりたいと思い、養成学校に入りました。

8月5日から25日まで学校が夏休みだったのですが、ふと「旅がしたーい!」という強烈な衝動があって。長期で旅をするなら、宿泊はどうしようと思ったときに、彼の話を思い出しました。

一般的な宿を20泊すると、そこそこの額じゃないですか。でもADDressのおためしプランなら1か月55,000円だから、お安く済むなと。

今治に住む知人に会うことを唯一の目的として、東京-今治間をADDressの家があるところで見繕って計画を練りました。

———— もともと旅はしたかったんですか?

昔、バイクの免許を取ったあたりから、日本一周したいという気持ちが漠然とあったんです。でも当時は会社に勤めてたので、夢のままで。

だから、夢を叶えるなら、会社を辞めた今なのでは…と。

あとは、せっかく日本に住んでるのだから、もっといろんな地域の暮らしを知りたいなというのもありました。

———— 似たような気持ちを持つ人は多い気がします。とはいえ、それなりの意志も必要ですよね。畠中さんが実際に旅に踏み出したきっかけは何かあったんですか?

親父が2年前に亡くなったんですが、一度も一緒にツーリングが出来なかったという心残りがあって。親父もバイクが好きだったんです。

「いつかいつか。そんな焦ることないじゃん」と思っているうちに、気づいたら…。それが衝撃的な体験で。死ぬということは、億万長者であろうが、貧困の人であろうが、変わらない宿命だっていうのを、肌感覚でグゥッて感じたんですよね。

だから、自分は最期までやりきったと言える人生にしよう、と決めました。

それで「先延ばしはやめたほうがいい」という実感があったので、「この20日間の旅はおもしろいことだけではないと思うけど、それでも行くぞ!」と出発しました。

旅には、親父のヘルメットを被っていきました。

だから自己満足ではありますけど、弔い旅でもあったというか。

昔、親父も高知に弾丸で行って家族を心配させたというエピソードを聞いたことがあったので、それを追憶したりもして。親父も同じような道を走ったんじゃないかなと感じる瞬間がありました。

———— 旅をして日本を知りたいという想いを先延ばししては駄目だということだったんですね。

日本中をバイクで駆け抜けた20日間

———— 実際20日間の旅はどうでした?どこを周ったんでしたっけ?

東京の自宅を出て、まず静岡の川根本町へ行きました。

———— それがまず攻めてますよね。静岡といえば有名な町もADDressの家も、ほぼ海側にあるなかで、あえての山奥という。

この旅でしか行きそうにないところへ行こう、というマインドはありましたね。佐伯さんとの出会いもあって、結果的にはよかったですよね。

———— 実は僕も初めてADDressで静岡に行ったときは川根に滞在したんです。静岡の山奥という立地には惹かれますよね。

川根の次は、名古屋の呼続、そして京都へと進みました。

明石付近の西神では、夜、会員同士で交流ができました。自分と、25歳前後の男性と女性が一人ずつ。男性は建築系の大学院生で、女性はいまは定職につかず自分で稼ぐ方法を色々と試している方でした。

その女性の「貯金がなくなっていくのがゾクゾクする。もう自ら稼ぐしかないんだ」という言葉が印象的でした。

———— その精神性はカッコいいですね。見習いたい。

西神の次は、淡路島。そして、一度、讃岐へ行き、フェリーで小豆島へ渡ったあと、徳島の美馬へと。その道中、徳島市の阿波踊りを見に寄り道しました。

その次に、徳島の三好。そこでも「いけだ阿波踊り」というローカルの阿波踊りをやっていましたね。むしろこっちのほうがゆっくりと観れて、好きだったかもしれません。

三好の次は高知。実はここまで全部1日ずつの滞在なんですよ。

ついに、高知で初めて2日続けて滞在しました。

その次は愛媛の大洲、そして道後温泉のある松山。今治に住む知り合いが松山まで来てくれたので、当初の目的は果たすことができました。翌日、今治を案内してもらった後にしまなみ海道を通り、最後に尾道でも1日過ごしました。

その次に向かったのが、倉敷。ジーンズが好きなので、TCB jeansというファクトリーブランドの店に行きたかったんです。これも、ひとり旅ならではのわがままと言えますね。

そして、兵庫の丹波篠山、福井の永平寺町へと進みました。

———— 永平寺にも行きました?仏教にいくつかある宗派のうちの一つ、曹洞宗の総本山です。

え、知らなかったです。我が家も曹洞宗だったはずなので、行っておけばよかった…。

最後は富山へ行き、念願だったサウナ施設を満喫しました。

———— いやぁ、こう聞くと、実にいろいろな土地へ行きましたね。

20日間で、3,000km走ったんです。1日あたり100~200㎞。

天気も、初日こそ雨に降られたんですけど、他は晴れました。

———— 初日の川根でめげなくてよかったですね。

ほんとうに。しかも山道だからだいぶ危なかったんです。でもそれも親父が守ってくれたのかもしれないですね。

いまの心境としては、無事旅を終えられてよかったな、と思っています。

旅を経て、自分の限界を肯定する

———— 旅を終えてどうですか?

いろんなことがあったんですけど、それ以上に、いい風景や出来事のすべてを生きているうちに味わうことは到底不可能だな、と気付きました。

それこそ、永平寺町に行ったのに、知識が無くて、永平寺には行ってないわけじゃないですか。そこでひとつロストしてる。似たようなことが、道中いくらでもあったんだろうな、と。

自分が経験できるのは、たまたま通るところで結ばれた縁だけで、それを大切にするしかない。味わえたことを消化して糧にしよう、と思いました。

———— ある種の真理ですよね。考えれば、全部味わうのが無理なことは分かったはずなんですけど、いったん長めの旅に出ることでやっと辿り着けるのかもしれない。

全部行けたー!って人、いるのかなぁ。

そもそも、全部を味わわなければいけないということでもないでしょうけどね。

———— 今後は、もっと周りたいという気持ちなんですか?

正直、旅をして日本の地域をたくさん見たいという気持ちはかなり消化されました。

これからは旅よりも、職業に結び付けたい夢に専念したいですね。

旅を終え、声優への道を進む

———— どういった夢なのか改めて教えていただけますか?

声優です。いま学校に通っています。

———— どうして声優の道へ進むことに?

もともとアニメを観るのが好きで、声優の仕事に憧れはあったんです。

仕事を辞める決断をしたとき、会社組織に属さずにお金を稼ぐ方法を考えたいのもあって、すぐ別の仕事に就くのではなく、ゆっくりする時間を絶対に設けるつもりでいました。

その時間で何をしようかと考えたとき「憧れていた声優にチャレンジしよう」と思い立ちました。

自分の努力次第ですけど、まずはチャレンジして、通じるか否かを誰かに見極めてもらうという一歩を踏みたいな、と思ったんですよね。

声優の養成所は、簡易的な入所試験があって、まず受けてみたら合格できました。

所属期間は1年間です。その後に、基礎科にステイ・進級・事務所所属・才能に限界を感じて辞める、の4つを決めることになってます。自分が決断するのは来年の1月ですね。

自ら辞めるつもりはないですけど、もしステイと言われたら考えますね。20歳の若者ではないので。そうはならないように、進級か事務所所属を目指してます。

———— 学校はかなり大変なんですか?

いえ、学校は週一しかないんですよ。そこでもらった課題に1週間取り組むんです。

———— いまはどういう課題ですか?

自己紹介です。1分以内で言える自己紹介を考えてこい、っていう。

———— クラスが始まって半年たったのに?

そうなんです。たしかに遅いなと思いつつ、これまで学んできた演技や発声を活かしたからこそ出来る紹介をするのかなと。

———— 周りの年齢層はどのくらいなんですか?

男女あわせて20人程度なんですが、大概20~25歳くらいですかね。自分が平均年齢をグッとあげてます。

でも本来なら20歳の子と交流する機会なんてあまりないので、ある意味新鮮で楽しいですけどね。半年経つので仲良くもなれていて。

僕はわりと決められたレールをずっと歩いてきた人間だから、声優のクラスにいる若者はすげぇな、って思うんですよね。

———— レールの上が悪いわけではないですが、声優への道は意志なくしては歩めないでしょうからね。

ADDress旅のすゝめ

———— 改めて、今回の旅においてADDressを使ってみていかがでしたか?

とてもポジティブな印象でした。宿泊費を抑える目的で始めましたが、会員同士で交流があって、自分にとても適していました。ほとんどの家で一日しか滞在しませんでしたが、一晩の宿としては文句のつけようがなかったです。

そして、交流するかしないか、自由に選べる雰囲気も良さというか。今日は交流しなくてもいいかなという日は、無理に話しかける必要もないですし。

———— 交流が生じて盛り上がるかって、相性次第ですよね。時には夜遅くまで話が続いたりもしますから。

その点、川根ではありがとうございます。

———— いやいや、むしろあの日は畠中さんから話し掛けてもらってますから。

初日に熱い交流ができたのは、本当に良かったです。

———— 最後になりますが、ADDressをどういう人に薦めたいですか?

自分の経験から言うのであれば、仕事を辞めて、次の仕事をまだ決めていない人。半年や1年間ゆっくりしようとしている人にはお薦めしたいですね。大切な気づきを得られることもあると思います。

———— まさに僕がその立場なので、僕からもそう薦めたいです。お話、ありがとうございました。

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旅のバイブルとも称される『深夜特急』を著した作家 沢木耕太郎は、「旅には適齢期というものがあるかもしれない」と語っています。

定年まで働き、子育ても終え、ゆったりと旅をする。それもよいでしょう。事実、私もADDressを使う中で定年後の旅を満喫される方々の幸せそうな姿を幾人も見てきました。

ただ、60代になって、20代の旅は決してできない。20代を適齢期とする旅は20代にしかできないのです。

その意味で、畠中さんの20日間の旅は、彼にとって、まさに34歳を適齢期とする旅であったように思えてくるのです。10年間勤めた会社を辞め、20代の若者に混じって新たな夢を追いはじめ、さらに唯一無二の父を亡くしてしまった今だからこそ、得られる経験や発見が多くあったようでした。

遡行不可能な人生をいかに生きるか、という大きな問いへの、一つの回答の在り方がADDressでの旅だったのかもしれません。

この記事を書いた人

佐伯 康太

25歳・神奈川県横浜市出身。 旅をしながら、作家・ライターと選書家を志して活動してます。 ADDressは、地域や日本のことを直に見て知らなければならないと考え、2021年9月より利用。道に迷っても「どこかには着くから」と地図を見たがらない困った癖があります。