今回お話を伺った会員さんは、佐久間 茂さん。東京に生まれ、埼玉県に家族三人で住む男性です。2年ほど前の51歳の頃、自ら経営していた会社を売却し、セミリタイア後の生活としてADDressを始めました。
「僕は20世紀の人間なので」と自らを評する佐久間さんは、いわゆる20世紀的な特徴をいくつか備えているように見えます。現物主義であり、結婚を機に戸建て一軒家に住み始めました。仕事は、会社こそ転々としましたが、同じ業種を貫いてきました。
そういった傾向は、良いとか悪いとかではなく、時代の大きな流れでした。人生にははっきりとした王道があり、個々の違いが省みられることの少ない時代でした。
その時代を生きてきた佐久間さんは、いつのまにか同質な人々に囲まれ、自らとは異質な存在には鈍感になっていったと言います。
(鈍感は不寛容とは性質の違うものであり、お話を伺った時点での佐久間さんからはむしろ寛容さを感じたことを付け加えておきます)
ところが多拠点生活の日々を経る中で、佐久間さんはたくさんの違いに出会いました。そして「多様性について腹落ちしてきました」と仰います。いったいどのような過程を経たのでしょうか。ADDress生活中の経験についてお話を伺いました。
目次
セミリタイアを機に日本を物見遊山するつもりだった
―――― ADDressを始めたきっかけは何ですか?
もともと美術館の照明器具をつくる会社を経営していましたが、その会社を2年半前に売却してセミリタイアしたんです。時間ができたので、せっかくなら日本を物見遊山的にいろいろ周ってみようかなと。
―――― セミリタイアを考えたのには何か理由があったんですか?
ひとつは、従業員を雇ってしまって会社の経営管理の仕事が面倒臭くなったんです。人の管理は苦手なんですよね。もともと堪え性がないらしくて。会社を起こすまではあちこちのメーカー系の会社を転々としていて、一つの組織に小学校より長く属したことがない、というのがうたい文句だったくらいでした。自分の会社が41歳で創業して51歳で売却するまで10年間も続いたのは驚きでしたよ。
それに子どもが娘1人なので、会社の後を継いでくれるということも無いんです。廃業は手間がかかるのであまりやりたくない仕事だったということもあります。それなら、上がり調子のいまのうちに他人様にお願いしちゃった方が良いかもしれないと思ったんですよね。
会社を売却した後も1年半くらいは残った仕事が多くて、ほぼフルタイムで働いていました。仕事が落ち着いてきて、やっと隠居生活に入れるなと思った2022年の6月にADDressを始めたんです。もともとは2週間にいっぺんくらいどこかへ遊びに出かけたいなと考えていたんだけど、昔の付き合いの仕事がなんやかんやあるので、地方美術館の現場に出かけるときに月数日だけ使っているのが現状ですね。
―――― ご家族はADDressを始めることについて何か仰っていましたか?
全然反対されず、むしろウェルカムという感じでした。
もともと自分は移住願望が異常に強くて、嫁に何度も移住の相談をしていたんです。でも嫁には「私は行きません」と言われていて。そうなると僕はまったく生活力がないから、どうしようもなくなっちゃうんですよ。そういう話を十何年ずっと繰り返していたんです。
なのでADDressの話をしたら「それで数泊して移住願望が治まって大人しくなるんだったら全然いいじゃない。 行ってらっしゃい」って。
―――― 結果的に移住願望は満たされたんですか?
ある程度は満たされましたよ。全然知らない土地を歩いているとまぁおもしろくって。実際に住んで日常になってしまったら新鮮さが半減すると思うんで、そういう意味では強い刺激だけを摂取できていて、ちょうどいい塩梅ですね。
普段は交わらない人たちとの交流で世界が広がった
―――― ADDressでの生活はいかがでしたか?
世の中を見る解像度が上がりましたよね。人についても土地についても。
―――― 人についていえば、どのように解像度が上がったんですか?
滞在している方が普段仕事で交わる方と違うのでおもしろかったです。仕事していると会うメンツが一緒なんですよね。歳も私よりちょっと上ばっかりで。でもADDressには若い人が多かった。
仕事はIT系でパソコン1台でできる人が多かったかな。本当にこういう働き方があるんだ、と純粋に驚きました。私は20世紀の人間なので実物が金を生むと思ってしまうんだけど、実際にパソコンの画面のなかの情報だけでお金を生むことができているんだな、って。
他にも、仕事を辞めて日本を一周している夫婦と会いました。勇気ありますよね。僕なんかすっごいビビりなもんだから、会社はいくつも変わってきたとはいえいつも転職先を決めてから会社を辞めているんですよ。20代や30代で日本中を周ってたくさんのものを見たら、きっとこれから良い大人になるだろうなと思って、掛け値なしに羨ましく思いました。
―――― 若い方ともいろいろ交流されたんですね。
させてもらいました。だいたいが酒飲みながらでしたけどね。
会員の方たちと接していて思ったんですけど、生活力高い人が多いですよね。だいたいいつも自炊をされていて、一緒に酒を飲む時もいろいろおすそ分けしてくれるんです。僕はまったくご飯つくれない人間なんで、もらうばっかり。ダメですねえ。もう寄生虫かなって思いましたもん。
充実した民俗史を知ることができた島田
―――― 土地についても解像度が上がったんですよね。
そうですね。いままでまったく知らなくて地図が真っ黒だったような場所に、ADDressの家があるからってだけでのこのこ出かけてみると、その土地ごとに歴史があるとあらためてよく分かったんです。
印象的だった土地はいくつかあるけど、まずは島田(静岡県島田市)かな。中継地点として滞在しただけだったんだけど、家守の方が熱心に町のことを紹介してくれて、翌日じっくり周ったんです。
日本史って、学校で勉強したのは基本的に中央政府の政治史だけじゃないですか。でも実際に日本各地に行くとその場所の民俗史があるんですよね。とくに市立の歴史博物館に行ってつぶさに展示を見ていると、そのことがよく分かります。
島田市にも歴史博物館があるんですが、そこの分館がおもしろかったです。昔の人たちの生活道具が収まっている場所があるんです。
農具から、昭和のテレビやゲームまでがごちゃごちゃと詰まっていて。知り合いのプロの学芸員から見ても興味深いものらしいんです。
ただ、展示の仕方はもう少し工夫したほうがいいとは思いましたけど。だって単に置いてあるだけなんですよ。
―――― お仕事柄、気になったんですね。ちなみに、美術館や博物館では、どのような展示の仕方が好ましいのですか?
限られた時間で展示内容を理解してもらうためには、何かしらの仮説をもってストーリーを立てないといけないんですよ。まずストーリーがあって、それを説明するための現物として展示物があるのが良いと思うんですよね。
時代の流れという不可抗力を感じた門司港
―――― 他にも印象的だった土地はありましたか?
門司港(福岡県北九州市)はすごくおもしろかったですね。技術の変化によって土地が廃れていくというのが如実に分かるんです。国際貿易港として外国船が往来していた昭和までは、外国人向けのクラブなんかもあって相当栄えていたみたいなんです。それに九州の鉄道の起点ともされていたから人もたくさんやってきていたし。
でも関門トンネルが開通したこともあって、門司港駅はいわゆる盲腸線の状態になってしまったじゃないですか。それで徐々に人が減っていったんです。こういうことって街の努力だけではどうにもならない、時代の不可抗力なんでしょうね。それを残り香のように感じられるのがおもしろかったです。
―――― 自分も行ったことありますが、商店街や建物の大きさの割に活気に乏しい印象でした。住んでいる方はどういう風に街の変化を捉えているんでしょうね。
どうなんでしょう。でも、なんとかしようとしている方にも出会いました。毎晩飯を食べに行っていた食堂のご主人なんですけどね。彼は門司港の生まれ育ちで、元々造船関係の会社にお勤めなさっていて、、町が寂れていくのが嫌だということで定年退職してから店を始めたそうです。
たしかに枯れてきた街ではあるんだけど、それはそれでレトロな魅力だし、門司港A邸家守の岩本さんも良い人でね。一緒にたくさん飲みましたよ。彼もビジネスマンだから、僕が会社をやっていた話もいろいろと聞いてくれて。今度、嫁と娘を連れて旅行しようと考えています。(参考:同伴利用制度)
異文化交流に魅せられて、自宅をADDress拠点にする予定
―――― 人も土地もADDressを通じて実際に触れることで解像度が上がったんですね。
その経験がおもしろかったのもあって、いま自宅をADDressの家にできないかと考えているんですよ。
というのも、今年中に新しい家に引っ越すことになったんです。いま住んでいる家の脇がかなりの急坂なので将来足腰が弱ったら住めないなと思っていたら、嫁も同感だったらしく、引っ越してもいいと言うようになって。
―――― 移住反対だった奥さんがついに…。
といっても引っ越し先はいまの家と同じ埼玉なんで、移住というほどでもないんですけどね。新しく手に入れた家は古屋だったんですが、リノベーションのコストと比較して、結局一度壊して新築を建てることにしました。この歳から新築というのもどうなんだろうと思ったんだけど、平均してあと三十年は生きるなら、まぁ建ててもいいかなと。ぼちぼち設計中です。
そういうワケで、いま住んでいる家はADDressの家にしようと思っているんです。家守は夫婦でやろうかなあと。伊賀A邸(三重県)の家守さんにそのことを相談したら「絶対やった方がいいよ」と推されました。「自分が出かけなくても変わった人が勝手にやってきてくれるのが最高におもしろいですよ」って。
家の庭に桜の木を植えているので、春になると桜が咲くんですよね。花見にちょうどいいんですよ。家の裏は雑木林だから静かだし、すぐ目の前の大学まではバスも通っているからアクセスも何とかなると思いますし。10年くらいはADDressの家として使おうかな。もし買いたいという酔狂な会員さんが買ってくれたりしたらおもしろいですね。
ニュートラルなおじさんであれ
―――― 最後にADDressを使うか迷っている方へメッセージをお願いいたします。
まだ社会との接点を持とうとしているおじさんには是非ともやってほしいです。ずっと穴に埋まっているつもりではないなら、もっとニュートラルになるべきだと思うんですよ。
世の中には自分と違う人がたくさんいるということがなかなか分からない人が多いですよね。だから偏ったポジショントークが多くなってしまう。
でも、僕もADDressを始めていろんな方と話す中で気づきましたが、もうね、人って本当にいっぱいいるんですよ。それに気づいて、やっと多様性というものが少し腹落ちしてきました。おかげで、もともといい加減な人間でしたが、さらにいい加減になりました。腹が立たなくなったんです。それぞれ違うんだからしょうがないじゃん、という健康的な諦めができるようになりました。
世の中は思っているよりも広いはずです。そういう社会にこれからも接していくには、違いに対してニュートラルになれるといいんだろうなと思います。その手段としてADDressは向いているんじゃないですかね。
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