母でもなく妻でもなく、ひとりの私に戻る時間ができた【ADDress会員インタビュー】福島朋恵さん

家庭において女性は、結婚とともに妻になり、出産とともに母親になります。妻と母親という二つの顔を持つようになります。

今回インタビューした福島 朋恵さんもまた、夫と三人の子どものいる家庭で、妻と母親になりました。母親になることについて、彼女は「子どもを、本当に生むから、そこで何かが変わるんですよ。パチンって。別の人になった」と表現します。

パチンと変わったその日から30年近くが経ち、しだいに福島さんはひとつの満たされない顔があることに目を背けられなくなりました。その顔というのは、役割を負わない、ひとりの人間としての顔でした。

そして福島さんは、ひとりの私でいることのできる場所を求めて、ADDressを利用してひとり旅を始めました。

今回、ADDressを使うなかでのご家族との関わり方や、ADDressを使うことで家庭での在り方にどのような変化があったのかなどについて伺いました。

最初は自分の会社の事務所が欲しかった

――― いつから、なぜ、ADDressを始められたんですか?

2022年の6月に説明会を聞いて、7月に入会しました。

最初は自分のちっちゃい事務所が欲しいと思ったんです。7年前から自分の会社を持っているんですけど、その会社の商材を置いておいたり、撮影したりするための事務所。それをどこかに欲しいなって。事務所をつくりたい場所を探し当てようっていうので、ADDressに入会したんです。

――― なるほど。会社というのは何をされているんですか?

ちっちゃいネットショップをやっています。主にカトラリーを扱っているんです。

7年前、何かを始めたいなと思って物販スクールに行ったんですよ。そこで海外輸入を教わりました。で、自分が大好きだったヨーロッパのカトラリーブランドにラブレターを送ったんです。取り扱わせてください、って。そしたらなぜか通ってしまって、普通に見積もりが送られてきたんです。なにかの手違いだったのかもしれないけど…

ちょうど一番下の子どもが高1に上がって、子育てに少し余裕が出てきたのもあったので、会社を立てて、その商品を売ることにしたんです。会社といっても、私ひとりなんですけどね。

――― これまで仕事場は家だったんですか?

そうです。でも、コロナで家族みんなが家で仕事や勉強をやるようになって。旦那さんも子どもも、ずっと家にいるわけですよ。それでちょっと人が多いなって。

書斎みたいな部屋も私は無かったんです。だからリビングで仕事していたんですけど、そこに家族が来て、食事だなんだってなると、ペースがね。近所のスタバを転々としたりもしたけど、なんで私こんなことしてるんだろうって思ってしまって。

だからどこかマンションの一室でも借りたいなと思いました。日当たりが良くて、商品写真もちょこっと撮れるような部屋。あと食べたいときにご飯食べたりね。自由にやりたかったんですね。

子育てを終え、私個人になれる場所が欲しい

――― 会社を立ち上げる前は何かお仕事されていたんですか?

専業主婦でした。3人目を生むまでは仕事もしていたんですけど、3人目生んだところでパワーがなくなっちゃって。あのとき、疲れすぎて、運転中に前の車にコツンってぶつけちゃったんですよ。それで「もうダメだ、これからはいったん子育てに集中しよう」って思って、仕事をやめたんです。

でもね、もう子どもはみんな育ちました。そしたらほら、もう要らなくないですか、母親。それで、次の人生、第二か第三のステージをおもしろくしたいなって。

――― たしかに子どもは自立はしていきますよね。

それに私小さい頃からの夢があるんですよ。文章を書きたいんです。何を書きたいっていうのは分からないんだけど、ずっと書きたいと思っているんです。ネットショップの商品紹介とかは書くけど、それだけじゃなくて、もっとブログとか。だけど書けない。本はたくさん読んできたのに書けないんですよね。でもこれからは文章を書くということもやっていきたいんです。

――― なるほど。

家にいるときは、母親と妻というのが私なんです。でもそうではない場所が欲しいんです。母親でも妻でもない、女性としてというか、一個人としての私であれる場所がひとつ欲しい。事務所探しという言い訳で、そのための場所を探したかったのかもしれません。

月1週間程度のADDress生活への家族の反応

――― 最初ご家族にはなんと伝えたんですか?

事務所を他の県に探したい、って。最初旦那さんからは反対されました。まぁ、家を空けてひとりで旅、ってなるとね。でも子どもたちは「もう全然行ってきなよ」って言ってくれて。

私としては、ひとりで旅というのはあまり抵抗がありませんでした。昔から海外のひとり旅が好きだったので。ほら、ひとりだと、決めた予定に縛られずに朝起きてやっぱり違うところに行こうってできるじゃないですか。そういう自由な生活が好きなんです。

それに家庭も、私がいなくてもみんなで分担して食事とか洗濯していけば、回っていきますからね。実際徐々にそうなってきているのはいいことだなあと思います。といっても、ADDressを使っているのは月に1週間程度で、周る拠点も2つほどで、それ以外は家族のいる東京の家で暮らしているから、任せっきりってことでもないですよ。

ずっとやりたかった海洋ゴミ拾いが小豆島で叶う

――― 滞在する家はどのように決められていたんですか?

あえて言えば、人が大勢いて交流メインのようなところよりも、静かに落ち着いていて読書などに集中できるようなところを選んでいます。部屋も個室ですね。

――― 実際にどこに行かれました?

最初小豆島B邸(香川県)に行ったんです。そしたら島が好きだったことを思い出して、それからはずっと島めぐりをしてました。行ったのは、小豆島に2回、屋久島、あと五島列島の福江島です。だからね、全然事務所探してないんです…

――― だいぶ早めに中断しましたね。というか始まってないといえるかも。

そんな場合じゃないな、もっと島に行きたいな、ってなってしまったんです。

――― 島を周るなかで印象的だったことって何かありましたか?

とても海が好きなのもあって、ゴミや生活排水を流すことにすごい罪悪感があったんです。そのゴミたちが流れていって海を汚してしまうのが嫌で。こういう感情をエシカル鬱っていうらしいですね。

最初に行った小豆島でアミーゴちゃん(小豆島B邸家守)にその話をしたら、小豆島で海洋ゴミ回収の取り組みをしている方(NPO法人Clean Ocean Ensemble 代表理事 江川さん)を紹介してくれました。そしてみんなで砂浜でゴミ拾いをしたんです。

ゴミはたくさん流れ着いていました。波の穏やかな瀬戸内海でこれだから、外洋はもっと多いはずですよ。ペットボトルが一番多かったかな。それらを朝から拾いました。真夏で暑かったけれど、それがすっごい良かった。

――― 良かったというのは?

ずっとやりたかった海洋ゴミ拾いが、こんなに簡単に叶うんだ!って。海が汚れていくのが気になっているって言っただけで、アミーゴちゃんがポンって江川さんに繋げてくれたんです。ADDressすごい!って思いました。あれから江川さんの団体には、毎月少しだけだけど寄附をしています。

――― 家守さんの地域における人脈みたいなのって、ときどき驚くものがありますよね。

やっぱり人が好きなんでしょうね。

気に入った小豆島で家族と旅したことも

――― ご家族を呼ぶこともあったんですか?

2回目に小豆島へ行ったときは、家族と行ったんです。家族も「ADDressってなに?」って思ってるじゃないですか。だから「来る?」って誘ったら「行く行く」って。それで娘と旦那さんを同伴者にして、3人で小豆島へ行きました。

そのときもまた江川さんに繋げていただいて、みんなで浜辺のゴミ拾いをしたんです。最初は二人とも「え、ゴミ拾いするの?」って顔してましたけど、結局一生懸命やってました。旦那さんが一番楽しんでたんじゃないかな。

ゴミ拾いをした後は、江川さんのツテで、島のどこかの村がそうめん大会しているところに混ぜてもらいました。それもいい思い出になったみたいで「すごい楽しかった」と言っていました。普通の旅行だったらこんなことないじゃないですか。

母親や妻という枠を取り払う突破口になった

――― ADDressを利用されるなかで、変化したなと思うことはありますか?

いろんな人がいるんだなということに気づきました。いままで接していた環境や価値観って偏っていたんだなって。屋久島に一湊という漁村があったんですけど、村の人たちみんなで一丸となって漁に出かけるんです。そういう世界もあることを知りました。自分が知っている普通が少し取っ払われたかもしれません。

――― たしかにそうですよね。

それに50代の女性としても考え方が少しずつ変わってきました。

ほら、家族のなかでのイメージがあるじゃないですか。子どもからしたら私は母親で、旦那さんからしたら私は妻で。しかも専業主婦だったからなおさら。私が家族の大きな基盤になっていて、その上でみんなが自由にできているという状況だったんです。

ネットショップの仕事を始めてからも、仕事だからいま手が離せないということをなかなか言えなくて。さらにコロナになってからはみんなが一緒にいるようになって。

でも、家族がいるからって、50代だからって、ずっと同じ場所にいなさいっていうのもおかしな話じゃないですか。昭和ですよね。私は私という部分もちゃんとつくっていかなきゃいけない。

その点において、ADDress生活は突破口になったかもしれません。「私は私なんだから」ということを家族に知ってもらえたという意味で。

――― ご家族はそういった朋恵さんの考え方や姿勢についてなにか言ってましたか?

「ママはゆるんできた」と娘に言われました。「母親としてちゃんとやっていたのがゆるっとしてきて、楽になってきた感じがする」って。

あと、うちの長男はフランスの大学に行ったんですけど、その長男が教えてくれたんです。フランスの女性は年齢とともに熟していくんだよ、だから年を取るのが嫌なことではないんだよ、って。日本では年を取るとオバサンになっていくじゃないですか。で何かを始めると「オバサンが何やってるの」と言われることもある。でも「フランスにはオバサンとかそういう考えはないよ。どんどんやりたいことやった方がいい」って長男に言われました。

家族には自分の想いが伝わっているみたいで嬉しかったです。事務所という名の隠れ家はまったく見つけられてないんですけど、私個人になれる旅みたいな時間は大切にしていきたいなと思います。

――― 最後にADDressを始めるか悩んでいる方にメッセージをお願いいたします。

これまで高級でオシャレなホテルや旅館などはいろいろ経験しましたが、いまでは一周周って、ADDressのような暮らすような旅も素敵だと感じています。

やはり旅先でたまたま一緒に居合わせた方や家守さんとお話ができるというのは、何とも言えない贅沢な気分になります。地元で食材を買ってキッチンで料理することもできます。

女性ひとり旅でも安心して使えるので、ぜひ試してみてください。

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「家庭をもつ」と言うくらいですから、親は家庭の所有者の心意気なのでしょう。あるいは主催者というべきでしょうか。いずれにせよその心意気をひとつの燃料として、親は家庭のガーディアンとしての責務を果たし続けます。子どもたちがそこから出発し、そこへ帰り、そこで過ごすための場である家庭を不動の姿勢で守るのです。

とはいえ、その家庭は次第に閑散としていきます。子どもたちが巣立っていくからです。場としての家庭はその実際的な意味を欠いていきます。しかしその代わりに、浮かび上がってくるものがあるように私には思えます。それは関係性としての家族です。たとえ離れていたとしても、いざというときに頼れたり、心のどこかで気にかけているような、関係性としての家族です。子どもが巣立つことによって、親と子どもにとっての意味の焦点が、場としての家庭から関係性としての家族へと、移動する気がするのです。

いや、この変化は移動というよりは収れんというべきかもしれませんね。家庭という容器はあくまで外殻であり、本質的なことは常に内を満たす家族関係であったはずですから。ただし、その容器があったから関係がはぐくまれたということもまた確かでしょう。家庭で過ごす時間があったから、離れても家族の関係が保たれる。それはまるで数十年の熟成を経て樽から出されたウイスキーが樽木の香りをまとい続けるようなものかもしれません。家庭を離れて旅立つ福島さんに子どもたちがかけた温かい言葉から、そのようなことを考えさせられました。

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この記事を書いた人

佐伯 康太

25歳・神奈川県横浜市出身。 旅をしながら、作家・ライターと選書家を志して活動してます。 ADDressは、地域や日本のことを直に見て知らなければならないと考え、2021年9月より利用。道に迷っても「どこかには着くから」と地図を見たがらない困った癖があります。