家守さんたちのあたたかい肯定に気づかされたシンプルな生き方【ADDress会員インタビュー】増田さん

想像してみてください。まっさらの色紙を渡され、そこに「わたしの夢」を書くことになったとしたら。口にするだけではありません。ペンで、文字として、書きつけるのです。いざ書くまでにどれくらいの時間がかかるでしょうか。

その場で流れるように書ける人もいるでしょう。いったん持ちかえり、寝かせたまま数年が過ぎてしまう人もいるかもしれません。今回インタビューした増田 晴香さんの場合は、1週間でした。

前職の看護師を辞めたことを機にADDressを始めた増田さんは、ある日静岡県の用宗A邸を訪れ、そこで色紙にこれからの夢を書くことになりました。用宗A邸のリビングの壁には訪れた会員の夢が飾られているのです。

しかし、なかなか筆は進みませんでした。色紙には何も書けないままです。「自分が何を叶えたいのか分からなかった」と彼女はその時のことをふり返ります。

それから1週間後。増田さんは再び用宗A邸を訪れ、ある夢を書きました。色紙を書いてから半年以上が経ち、彼女は少しずつ目指す方向へ前進しているように見えます。そのひとつはイラストでしょう。かわいらしいイラストで絵日記を描いてADDress生活の日々を発信しています。

なにが彼女を変えたのか。そこにはADDressに集う人々たちとの繋がりがあるようです。今回、気の置けない仲間たちとの繋がりのなかで変わりゆく増田さんの考え方や生き方について伺いました。

新しい知識や出会いの連続で、天職だった看護師

―――― 元々はどんなお仕事をされていたんですか?

病院の看護師をやっていました。所属は循環器内科でした。心電図モニターを読めたらどこでもやっていけると言われていたこともあって、循環器内科に希望を出しました。

循環器というのは主に心臓です。心不全の方が多かったですね。病気としては、弁膜症、狭心症、心筋梗塞とか。不整脈でペースメーカーを入れたり。心臓がうまく血液を送り出せなくて足がむくんで、呼吸困難の症状が出たり。なかには普通の暮らしがままならず長期入院になる方もいました。

―――― 看護師の仕事は何年されていたんですか?

5年です。めっちゃ天職だったんですよね。

勉強しなきゃいけないことがどんどん降ってくるから飽きなかったんです。一個の疾患を知っていれば患者さんのすべてが分かるわけじゃないですから。例えば、急に患者さんの呂律が回らなくなったら、脳梗塞を真っ先に疑う(心臓にあった血栓が飛んで、脳の血管に詰まった可能性がある)。そうなると脳神経外科と連携しないといけない。だから、知識をどんどん更新しないといけなくて。

あと、いろんな人、いろんな家庭があるから話していて考えさせられることがたくさんありました。楽しかったです。人のお世話も好きな方だし。

なので特に慣れてきてからは「めっちゃ私に向いてる」と思っていましたね。

病院になくて、旅にあるもの

―――― 看護師になった動機はなんだったんですか?

いろんな人、いろんな患者さんと触れあいたいというのが大きかったですね。

でも働いてみると、ひとりひとりとゆったり話す時間がなかなか取れないというのが実情でした。通常業務や緊急入院などで忙しすぎたんです。それが次第にもどかしくなってきて。

あと看護師って、5年くらいやると通常業務だけではなく、中堅看護師として病棟リーダーや後輩指導、委員会が重なってしまうんです。そのまま一か所にいてもおもしろくはないなと感じていました。

それで3年目の終わりには、5年目になったら辞めようと決めました。

―――― ADDressを始めたきっかけは何だったんですか?

看護師として働きはじめて2年目くらいからですかね、月に1回ほど、日本各地に旅行に行くようになりました。その旅先でガイドさんやボランティアさんと話す機会がたびたびあったんですけど、皆さんが地域の魅力をたっぷり話してくれるんです。なかには、なぜガイドになったのかを語ってくれる方もいました。

吉野ケ里遺跡でお会いしたガイドさんとは、連絡先を交換して、何度かメールだけでなくハガキのやりとりをしました。観光しに行っただけのつもりが、思いがけない人とのご縁が生まれたんです。そんな旅をもっとしたいなと思いました。

看護師は忙しくてなかなか患者さんと話すこともできない。その一方で、旅をしていると、いろんな人と話せますし、人の理解にも繋がるように思いました。そこで調べたらADDressを見つけ、2022年の3月、有給消化中に使い始めたという形です。

今日死んでもいいくらいの気持ちで生きていく

―――― 退職をすでに決めていたとはいえ、家をもたずに旅をするというのはかなり振りきりましたよね。

看護師をしていると、仲の良かった人が亡くなるということをちょこちょこ経験するんです。

昔、心不全で頻繁に入退院する方がいたんです。その方は農業に関する知識をたくさん教えてくれて、仲良くしていたんですけど、心不全の急性増悪で退院できなくなり、ある日そのまま不整脈で亡くなってしまいました。

そのとき「人の命って、悲しいくらいにあっけないな」と思ってしまって。健康に生きているうちにやりたいことをやっておかないといけない、今日死んでもいいくらいの気持ちで生きていかないといけない。そう考えて、旅に踏み出しました。

夢を色紙に書けるようになるまで

―――― ADDress生活で印象的だったことはありますか?

始めて3か月くらいの頃、静岡の用宗A邸で、八木さん(家守)と西川さん(当時の専用ベッド住民)とお会いしたときのことですね。用宗A邸のリビングの壁には、会員の夢を応援したいという八木さんの想いにより、訪れた会員が色紙に夢を書いて飾ることができます。
※西川さんは「エベレスト登頂」と書き、先日本当に実現させました。

そのとき、私も色紙に夢を書こうということになったんです。

―――― なんて書いたんですか?

「看護師×旅×イラストで、生きる楽しさを語る。」そう書きました。「プロの旅人」というのはいまはちょっとしっくりこなくなってしまったけど、他はいまも変わらないです。

でも実は、最初に用宗に滞在したときは何も書けなかったんです。自分が何を叶えたいのか分からなくて。

それで八木さんと西川さんに「私何したらいいと思いますか?」って聞いちゃったんですよ。そしたら「何したらいいかって、ハルさんは何したいの?」って返されて。そりゃそうですよね。

今思えば、当時の自分はどうやったらみんなが喜ぶかという視点で考えていたんです。他人が主軸で、私はサポート役、というふうに。誰かの役に立たなければならない、社会の役に立たなければならないっていう思い込みが強かったんです。看護師として患者さんの身体を治すためにどうサポートしていけばいいだろうって考えながらずっと働いていたのもあって。

とにかく最初は色紙を書けませんでした。それで他の地域を回りながら考えたんです。1週間後、用宗に寄り、そこでようやく色紙を書きました。

―――― 1週間のあいだで何があったんですか?

用宗のあとに1週間滞在した千葉県の南房総A邸がとっても愛に溢れた拠点で、横山さん(当時の家守)や他の会員さんと話しているなかで気づいたんです。「あ、生きるのって楽しいな」って。この生きる楽しさをシンプルに大切にしていきたいと思いました。

他にも、夢は意外とシンプルでいいのかもしれないと思えたきっかけがありました。最初に用宗に行く1か月くらい前に香川県の小豆島B邸に行ったときのことです。そこでアミーゴさん(家守)とお互い本が好きなことで意気投合し「旅する本棚 ※」という活動を始めました。最初は単に自分たちがやりたいということだったんですが、それを形にしていく過程がとても楽しかったんです。

※旅する本棚:ADDressの家々に、持ち出し可能な本を置く活動。会員さんが家と家の移動時に読み、次の家へと本を旅させていく。

―――― なるほど。

八木さんたちにも言われていたんです。「好きなことをやってたら、それが夢になるよ。だから自分がやりたいことをやればいいじゃん」って。ずっと他人のサポート目線で生きてきた私としては、なかなかその発想になれなかったわけですけど。

でも、いろんな人との出会いのなかで決めました。「看護師も旅もイラストも、好きなことは全部やろう」って。

大家族のような繋がりのなかで

―――― 夢として挙げたもので、直近はイラストを主に活かしている印象です。そもそもいつごろから描いていたんですか?

小学生くらいからですかね。授業を聞きながらノートに落書きしているような子でした。

でも空想のイラストは描けないんですよ。実際に起きた出来事しか描けない。だからよく写真を見直して描いています。最近は毎日、ADDress生活の絵日記をつけて、SNSに載せています。

―――― SNS以外にも、修平さん(神奈川県 鶴巻温泉A邸家守)の講演会のチラシにもイラストを描いていましたよね。

描きました。修平さんには何度かお会いしていることもあって、イラストを描いてほしいと直接頼まれたんです。だから引き受けました。イラストの仕事は「顔も知らない外部からは受注しない」と決めているんです。例えば、ココナラとかには出さない、って。

私にとって絵は生計を立てていく第一手段ではなく、あくまで二、三本目。関係性のある人に頼まれたら描くスタイルでやっていこうかなって。私のイラストで少しでもみんなが助かるなら手伝います、っていう。

それができるのが、やっぱりADDressだよねって思います。

―――― やっぱりADDress、というのはどういう意味ですか?

ADDressって、ゆるく繋がって広がる大家族みたいなイメージがあるんです。あるいは気の置けない仲間というか。ひとつ屋根の下で暮らしていれば自然に距離感も近くなるということなのかもしれないけど。

この前も神奈川県の横須賀衣笠A邸の1周年会や、同じく神奈川県の清川A邸のクリスマス会に遊びに行かせてもらいました。

―――― 大家族ですか。たしかにゆるくつながって広がるコミュニティのようなところはありますね。

イラストにせよなんにせよ、そういった気の知れた人たちのために提供するのが、自分の喜びに一番直結しやすいって思いました。

しかも最近気づいたんですけど、自分が好きなことをやっていたら周りが自然と助かっていることが多いんです。イラストは自分が描きたいから描いているだけなのに、それが誰かのためになっていたりして。

―――― 周りのためになっている実感を得られるのも、大きすぎない規模のコミュニティ、あるいは影響圏みたいなものがADDressにあるからかもしれない。

昨年の冬に清川A邸の家守代行を務めたのも大きいかもしれません。実際にお迎えした会員さんから「居心地よかったよ」って言ってもらえたんです。

※家守代行:家守が長期間拠点から離れる際、代わりに家守業務を引き受けること。旅する本棚同様、これも会員発案の仕組み

それで「あ、任せてもらえるほどの存在になれたんだ、私」って。「そういう存在というだけで完璧じゃない?」って、つい思ってしまいました。

働くとか働かないとかじゃなくて、生きているだけで肯定してくれる存在が多くなったから、「もうこれ以上何もいらないなぁ」というくらいの気持ちになっちゃったんです。

―――― 誰かのため、社会のために貢献しようと無理に背伸びせずとも、自然に貢献できているし、自分も満たされているっていうことですね。

そう。だから働きたい欲がなくなってしまいました。病院を辞めて数か月は、人の役に立っている感のあったあの頃に戻りたくて、働きたい欲がめちゃめちゃあったのに。

でももちろん、天職に感じている看護師自体は続けたい。それで調べてみたら、コミュニティナースという働き方があるみたいなんです。

※コミュニティナース:「病院や介護施設ではなく、普段から地域のなかにいて住民と触れ合い、健康上の”おせっかい”を焼く人」— WIRED, 「医療現場の”思い込み”に「嘘つけ!」と叫びたい。」

だから、もしこれからどこかに移住するとなったら、コミュニティナースのような活動を移住先の地域で自然とやっていくことになるかなとは考えています。

―――― 楽しみにしていますね。最後にADDressを始めるか迷っている方へメッセージをお願いします。

漠然とでも「変わりたい」と思う方に、ADDressをおすすめしたいです。人間が変わる方法は3つあるといいます。「時間の使い方を変える」「環境を変える」「人と出会う」です。いきなりこの3つを実行するのは難しいと言われますけど、ADDressでは可能だと思います。

きっかけは何でもいいんです。少なくとも私は「お得に旅をしたい」という思いでADDressをはじめました。気がついたら、気の合う仲間と出会うためにこのサービスを使っています。ご縁に恵まれて、読書会を定期開催したり、海抜0mから富士山に登ったり、インドへ行ったり、イラストのお仕事をいただいたり……。一生もののご縁をたくさんいただきました。

ADDressは、住まいのサービスに留まらない魅力であふれています。難しく考えず、合わないと思えば辞めればいいんです。「やりたいこと」に素直になったとき、ADDressという選択肢がみなさんの中に浮かぶといいなと思います。ADDressのどこかの拠点でお会いした時は、ぜひお話しましょう。

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増田さんのインタビューを通じて、コミュニティとしてのADDressにあらためて意味を見出す自分がいました。そのワケをすこし考えてみたいと思います。

はるか昔、まだ貨幣というものが存在しなかった頃。人々は数十人程度の集団をなし、基本的にはその内部で完結する生活を送っていたといいます。お互いの得意分野を共有し、分け合いながら生きていたといいます。例えば、リンゴ栽培に長けた人と靴磨きに長けた人がいて、靴職人はリンゴを買う代わりに靴をつくっていました。

これは私の想像ですが、そういった小さく完結した社会では、ひとりひとりの存在が社会にとって絶対的な価値をもっていたのではないでしょうか。新たなものを得意とする存在がひとり増えることは、すなわち社会の選択肢の豊かさに直結し、しかも個々が担うそれぞれの役割は以前には存在しないものだったのですから。

そのような社会では、自発性という羽を大きく羽ばたかせやすくもなるでしょう。ひとりが何かをしようとしたときに「私がそれをしたところで…」という複雑なためらい―これが現代の若者が夢なるものをもてない大きな要因になっている気がします―が首をもたげる瞬間が減るでしょう。ひとりひとりの行動に社会への絶対的な価値があるからです。

小さな完結した社会に属しておくことは、自発性をはぐくむことになるはずです。そのような社会は、町内会でもいいし、オンライン上のサロンでもいい。そしてADDressで偶発的に生まれているコミュニティもまた、そうした小さく完結した社会のひとつかもしれません。その中においては、やりたいことをやれば社会がその分だけ豊かになるのです。まさに増田さんが「自分が好きなことをやっていたら自然と周りが助かっている」と語るように。

▼増田さんのプロフィールはこちら▼
https://lit.link/carryme

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この記事を書いた人

佐伯 康太

25歳・神奈川県横浜市出身。 旅をしながら、作家・ライターと選書家を志して活動してます。 ADDressは、地域や日本のことを直に見て知らなければならないと考え、2021年9月より利用。道に迷っても「どこかには着くから」と地図を見たがらない困った癖があります。