旅のなかで分かった、生きづらさとの付き合い方【ADDress会員インタビュー】まちゃこさん

「私、分かったんです」噛みしめるように何度もそう言ったのは、ADDress会員のまちゃこさん。今回お話を伺った会員さんです。

まちゃこさんは仕事を休職中の身です。すでに一年半が経過しました。休みをもらったきっかけは「あなたにはうつ状態の症状があります」という精神科医の診断結果でした。

うつ状態。そう症状名を付けられたのは初めてでしたが、なにかが上手くいかなくなっていたのはずいぶんと昔からのことでした。20年以上も昔のことです。彼女にとって、生きにくいという感覚は生きていくこととすでに切り離せないものになっていました。

なぜ上手くいかないのかは、彼女自身にも謎でした。当然、どうすれば上手くいくのかも。しかし、それは少し前までの話――――。

2022年3月、まちゃこさんはADDressを始めました。そして、ほぼ1年間の多拠点生活を経て、生きにくいと感じる原因と対処の術が分かったと言います。「会員さんたちに助けられたようなものです」そう彼女はふり返ります。

人間関係や生き方に悩むまちゃこさんは、ADDress生活から何を得たのでしょうか?

まちゃこさんが滞在していた古淵A邸の近くの喫茶店でお話を伺いました。

20年以上続く生きづらさ

―――― 医師の診断を受けたときのことを聞かせてください。

私、よく出社前にお酒を飲んでたんですよ。顔にも出ないタチだし、マスク生活だし。もちろん毎日ではないけれど、珍しいことではなかったかな。普通はしないよなと思ってはいたんですけど。

そのことを医者に話したら、完全にうつ状態の症状だと。仕事に行きたくなくて現実逃避しているんだと。

お酒以外にも症状はありました。例えば、気持ちの上がり下がりが激しかったり。これも医者が言うには、自己肯定感が低いことがベースにあるらしいんです。自分が他人より劣っていると思っているので、たくさん努力しないと人並みにはなれないと思ってしまうんです。でも短期間ならHIGHの状態で頑張れるんですけど、息が切れたら脱力しちゃってLOWに一気に落ちていくんです。

それで正式に診断書が出されました。精神安定剤も処方されました。これが2021年の6月でした。

―――― ちょうど1年半ほど前ですね。

でも、実を言えば、自分のなかでは昔から似た状態は続いてたんです。すごい調子がいいときと、気分が雑になってもやもやするときとがあって。

学生時代、いやもっと前の小学生とか幼稚園の頃くらいからかもしれない。

―――― となると20年以上。

それくらいはいます。だーいぶ、付き合いは長いです。この黒いもやもやしたやつとは。

―――― 長いですね。

そうですね。同じところをぐるぐる回ってる感じ。生きにくかったですね。

若いうちに治しておきたい理由

―――― 今回医者に診断されるまでは、どう対処されてたんですか?

それまでは解決させようという気がなかったんです。生きにくい状態に疑問すらなかった。日常的な感じで。きっと病気なんだろうけど、解決させたいなとは思っていませんでした。

―――― このタイミングで解決させたいと思ったきっかけはあったんですか?

うーん。30代になったからかもしれません。

年を取って、家庭をもったり仕事の責任が重くなっていくときに、いまみたいにネガティブにくすぶっていると、対処できなくなるなって。

―――― 子どもをもつとどうしても子どものことを考える時間が増えるらしいですよね。

うん、らしい。

―――― 結婚するとどうしても相手のことを思いやる時間が増える

らしい。

―――― らしいですもんね。

だから若いうちになんとかしておこうと思ったんです。

で、医者巡りしていたら、もうそれは症状名つけられますよという話になった。ちょうど30歳の頃です。

周りの何かのために働くことに疲れていたこともあって、いったん休ませてもらいたいと会社に伝えました。そして、傷病手当を受けながら休職することになりました。

休職期間にADDress生活へ

―――― 休職してすぐADDressを?

半年ほどは借りていた社宅にいました。好きなだけ寝て、好きなだけ外出して、好きなだけ食べて。もちろん食べなくてもいい。自由気ままで楽しかったです。だけど、ただの無職。ずっと続けたいというものでもなかったです。人と関わる機会は働いてる時よりもぐんと減ってしまったし、回復しそうな気配も無さそうだったので。

ADDressを始めたのは、会社の事情でその社宅を更新できないと言われたことがきっかけでした。元々多拠点生活という暮らし方は知っていて「日本のあちこちに行けるのはいいなぁ」と思っていたんです。ビビりなので不安はありましたが、どうせ社宅にはいられないんです。だからADDressを始めるのはあまり迷いませんでしたね。

でも、いまではもっと早く始めていればよかったと思います。それくらい強烈でしたね。ADDress生活。私は。

沖縄で食卓を囲む

―――― そのADDress生活について聞かせてください。

まず、東京から南の地域を攻める旅にしようということは決めていました。スノーボードが趣味なので、北の方にはこれから先も行く機会があるかなと思って。次に、お金は惜しみなく使う。これもあらかじめ決めていましたね。

あと、傷病手当をもらう都合で、毎月病院に通って診断書を書いてもらわないといけないんですよ。かかりつけの病院が都内にあるので、私は結構航空費のかかるアドレスホッパーなんです。

最初はとりあえず青春18きっぷを買って、すべて鈍行で東京から鹿児島を目指しました。その間に、京都、山口の岩国、博多で数泊して。鹿児島はほとんど全てのADDressの家を周りました。そして通院のために飛行機で東京へ戻ってきました。このときの鈍行旅のおかげで、初めて鉄道に惹かれて乗り鉄になりましたね。

―――― 鉄道のどんなところが気に入ったんですか?

私は東京生まれ東京育ちなんですが、都内で電車に乗っていると、どこにいっても建物があるんです。だけど田舎に行くと、それがない。なんにもない。ずっと木と山としかない。それを見るのが楽しかったんです。

―――― 周ったなかで思い出深い場所はありますか?

沖縄ですね。私は2週間いました。

沖縄に来る会員さんは、島内の家を連続で使うことが多いんです。だから次の家、次の次の家で、気心知れた会員さんとすぐ再会することが多くて。「あれ、また一緒ですね」って。そういう楽しみが沖縄にはありましたね。

今はもう閉じてしまいましたけど、真栄田岬の家で、会員みんなで料理をつくって一緒に食べましょうということがありました。いいですよね、自分がつくった分もどうぞって分け合う文化。みんな大皿なんです。

あとコペンという軽のオープンカーを2週間ずっと借りて、毎日のようにドライブに行ったこともいい思い出です。

気志團追っかけへの強力なサポートを得る

―――― 沖縄以外にもいろいろ行かれてますよね。

家守さんに感謝している家がたくさんあるんです。なかでも伊豆大島ですね。

私はバンドの気志團の追っかけをしているんですけど、伊豆大島の家守さんが気志團のライブに着ていく特攻服をオーダーメイドで作ってくれる人を紹介してくれて。

―――― おおお。

それで実際にお願いしに行ったんです。自分で完成イメージをデザインして、紙に描いて送りました。気志團はメンバーごとに担当の色があるんですけど、推しているメンバーカラーの白・黄・橙を取り入れたい、とか。横に切れ込みを入れて、歩きながら風になびいているように見せたい、とか。もうたくさん。

―――― これはキマってますね。伊豆大島に行って良かったですね。

ほんとに。気志團仲間に訊いても、ここまでオーダーを叶えてくれるところはありません。実は第二弾もイメージはあるんですよ。

―――― じゃあまたそこに?

うん。でも、注文が細かすぎるって嫌がって受けてくれないかもしれませんけど、お願いしてみるつもりです。

生きづらさについて、分かってきたこと

―――― さっきADDress生活がとても強烈だったと仰ってましたけど、それってまちゃこさんが長く付き合ってきた生きづらさみたいなものとも関係してるんですか?

そうですね。ADDress生活によって、あのぐるぐるした黒いやつのことが分かったんです。私は受け流すのが苦手なんです。なんでもかんでも真に受けちゃって、それで潰れちゃう。その考え方に行きつきましたね。

あと、どうすればうまく受け流せるのかというのもちょっとずつですけど分かってきました。例えば、嫌なことが起きても、考え方を変えるんです。理不尽に文句を言ってくる人がいたり、夜中に生活音を出す人がいたりしても、それはその人自身に問題があるからであって、そこに対して私が過剰に悩み過ぎるのは違う、と。自分の問題と相手の問題を切り離すんです。

自分と合わない人と出会ったとき、気にしすぎるあまりイライラしてしまうのが普段の自分でした。だけど、次第に「試しに別の考え方で対応してみよう」という気持ちの切り替えができるようになってきたんです。

―――― 徐々に受け流せるようになっていった、と。それはどうしてなんでしょうか?

ADDressで暮らしていると、いろんなキャラクターの、いろんなタイプの人と出会うじゃないですか。そのなかには自分とはあまり合わない人ももちろんいるわけです。考え方とか生活習慣が合わなかったりとか。もちろん、いい人がダントツで多いですけどね。

人とのかかわり方について、分析して実行する機会がいっぱいあったということなんだと思います。

―――― たしかに始めましての出会いが多いですもんね。

それに、会員さんたちからいろんな意見をもらったんです。

最初は、うつ状態や傷病手当というワードを出さないようにしてたんです。でも旅の途中で、自分と同じく傷病手当をもらっている女の子と話したことがきっかけで、自分から口にしてもいいんだと思って。それからは特に隠さないでいたら、過去に心の病気にかかったことがあると言ってくれる会員さんもいて。

そういう話をいろんな会員さんにさせてもらって、意見をたくさんもらいました。会員さんたちの思考回路を取り入れて、ものごとを多方面から見れるようになってきたんです。

だから、私は会員さんに助けられた部分が大きいんです。

――――  なるほど。ADDress生活が強烈だったという意味が伝わってきます。

ADDress生活を通じて、自分のことがよく分かってきたってことですかね。

最近は、社会復帰してからどう対処すべきかということを文字にしておくようになりました。

―――― まさに自分の取説のような。そろそろ社会復帰をするんですか?

はい。いまの会社は正式に退職をして、失業給付をもらいながら仕事を探そうかなと。社会に戻ってADDress生活で学んだことを試したい気持ちもあるので前向きです。

―――― 次はどんな仕事をする予定ですか?

いままでやってきた人材紹介系や営業の仕事を続けたくて。やればやった分だけ給料に反映されるのがいいなって。

―――― だいぶ前向きになった気がしますね。

ADDress会員の皆さんに助けられた感じです。

―――― 最後にADDressを使うか迷っている方へメッセージをお願いいたします。

ある人にとってはただのいろんなところに宿泊できるサービスで終わるかもしれません。でも、使い方によってはとても意味のある時間を過ごせる可能性があります。わたしは後者の人間でした。

ADDress会員には、いろんな経験をしてきた人が多くいます。わたしが思い悩んでいることを話すと、皆さんは未熟なわたしにいろんなアイデアをたくさん教えてくれました。それからは積極的に胸のうちを明かすように意識していました。

また、皆さんとの思い出があるだけでなんとなく強くなった気がしています、思い出の数だけ強くなれるみたいな。

わたしと出会ってくれた会員さんたちの旅が楽しい旅でありますように。これから会員になる皆さんにとって良い旅となりますように。そう願っています。

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周りのことをすべて真に受けて、心が潰れてしまうことの多かったというまちゃこさん。彼女が陥っていたのは、いわば自分の内と外が曖昧に混ざり合ってしまっている状態だったように思えます。周囲の人々の感情や価値観が、毎日のように接しているうちに、固まり、肥え太り、圧をもって迫ってくる。その圧力は常態化し、境を超えて浸透してくる。そういう状態です。例えるなら、まちゃこさんはまるでゼリーのなかのフルーツのよう。ぎゅっと固められたゼラチンの世界に埋め込まれて、身動きは取れず、果汁は染みだしていくのです。

まちゃこさんが休職して旅をしたことは、ある意味においてはゼリーのような日常から脱け出したということなのかもしれません。そうすることで、彼女は肌に押しつけられたゼラチン的な日常性から自分という実を切りはなすことができた。自分の内と外をはっきりと分けることができた。

「分ける」と「分かる」は、両者に同じ文字が使われていることからも推測できる通り、根本のところで同じ意味です。「分ける」は「分かる」なのであり、あえて言えば「分ける」ことではじめて「分かる」ことが可能になるのです。内と外を分けることができるようになったまちゃこさんが「自分のことを分かってきた」と語るのは、まさにそのことの証であるように私には思えます。

▼ポッドキャストでもADDressLifeについてお話されています▼

この記事を書いた人

佐伯 康太

25歳・神奈川県横浜市出身。 旅をしながら、作家・ライターと選書家を志して活動してます。 ADDressは、地域や日本のことを直に見て知らなければならないと考え、2021年9月より利用。道に迷っても「どこかには着くから」と地図を見たがらない困った癖があります。